2006年09月12日

グラウンド・ゼロ

もう日付けが変わってしまいましたが、9月11日は米国同時多発テロ事件のあった日です。

もうあれから5年。

いわば「戦争の世紀」であった20世紀は、世紀の更新をきっかけとして終焉を迎えるのではなかったようです。

21世紀早々の衝撃的なこの事件は、ますます混乱していく世界の予兆だったのかもしれません。


ニューヨーク世界貿易センタービル跡地が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになっていますが、この「グラウンド・ゼロ」という言葉、英語で「爆心地」という意味で、本来は原爆の爆心地を指す言葉だそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%AD

私は逆に、広島や長崎が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれているなんて事は知りませんでした。
その言葉自体を、米国同時多発テロで初めて知ったぐらいなものです・・・。

その程度の認識しかない私が、テロについてあれこれ発言するのも気が引けるのですが、そうは思いつつも一方でとてもたくさんの想いが渦巻きます。

テロ勃発後、イラク侵攻について米国大統領は「これは善と悪の戦い。聖戦だ。」との声明を発表しました。

あくまでも個人的で、でも正直に言うとすれば、私は己を「善」と言い切れるその図々しさに唖然としました。

確かにテロは許されざる行為だと思います。
では、テロ行為でなければ戦争はいいのか、という話です。

戦争のどこにも正当性などない。

それでも起こさなければならない事情が、1000億歩譲ってもしもあるとするとしても、そこに正当性などない、という認識を持っているのか、と言いたい。

まぁ持っていないでしょうけれど。

さらに、テロを起こさせてしまった原因に、自国の行いがあったのだという認識も、今の米国大統領には恐らく全くないでしょう。

もしかしたら、それを認めたとしたら、勢力バランスが崩れるという事になるのかもしれません。
それは「テロに屈する」という事だと、国際社会とかという場ではなってしまうのかもしれません。
国家の存亡に関わる事なのかもしれません。

また、そうやってここでブツクサ言ったところで、現在の国際社会とかという場では、日本もいつテロの標的となってもおかしくない位置に否応無く立たされているわけです。


・・・はぁ〜・・・。


学生の頃は、そういう事を考え始めると、憤り、やり切れなさ、悲しさ、息苦しさ、諦めなど、色んな感情が湧き上がってきて、体が震えて、涙が込み上げてきたりしていました。

今も、そういう感情の方に意識を持って行き過ぎると、手が震えて涙が出そうになったりします。
それは「悲しい」というより「悔しい」涙です。

そういう事に感情を揺らすのではなく、それは人の世の常として捉え、それから次を考える必要があるのだと思うのですが、そういう感情は、度合いの変化はあれど、ずっとこの心の中から消えてはくれないようです・・・。


事件の起きた年に創った曲の歌詞を、Lyrics(9/11)にアップしました。
posted by howdy-music at 02:50| Comment(0) | TrackBack(3) | 所感
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1255316
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

No.395:気がつけば・・・
Excerpt:  おはようございます。「ビタミン店長 」さんからコメント をいただき、気がつきました。このブログをはじめて、すでに丸一年経過していたんです。昨年9月4日 の開始以前の2月15日 から、社内メー..
Weblog: !? びっくり&はてな
Tracked: 2006-09-12 08:49

米同時多発テロから丸5年
Excerpt: 3000人近くが犠牲となった9.11米同時多発テロから丸5年が経ちました。ニューヨークでは、朝から倒壊した世界貿易センタービル跡地の「グラウンド・ゼロ」で追悼式典が開かれました。
Weblog: 気まぐれひとりごと通信
Tracked: 2006-09-12 15:28

他人の世話焼くより己の傲慢省みよ
Excerpt: 犬丸りん何故?自殺を
Weblog: Fere libenter homines id quod volunt credunt
Tracked: 2006-09-13 19:44